「老人の美学」読んだ
今回は写真と読んだ本のハイブリッド記事にしたよ。
別に分けてもよかったんだけど、なんか面倒くさくてまとめた。
写真と本の関係性は全くないよ。
写真はたぶん珍しいことに夜の街にした。
本当は昼に撮ろうと思っていたんだけど、寝てて気づいたら日没してそれなりに時間が経ってたから仕方なく少し遅い時間。
そうは言っても、日の入りが早いから真っ暗なだけで時計的には全然早い時間(当社比)。
H&M
オーストラリアでもこう言うの取った気がする。
三角コーン
退廃としてていいよね。
cafe
かわいい。
さて、今回のトピック「老人の美学」。
作者は筒井康隆氏。
や、有名人に疎いせいでこの本を手に取るまで、このおじいさんのことは全く知らなかった。
時をかける少女を書いた人なんだね。
まあ、多分俺が知ってる細田の時をかける少女じゃなくて、実写版の元ネタなんだと思うけど。
そっち見てないから内容知らん。機会があれば見ようかな。
この本の内容とかしっかりまとめるのはめんどくさいし、
多分誰かがやってるから、気になったらその誰かが書いたネタバレ記事を読んでくれ。
俺が書くのは個人的感想だけ。
まず、この本を手に取ったきっかけは、最近色々思うところがあり、今後やこれまでのことを振り返ることが多くなっていて、何かしらの刺激になるかなと思ったから。
結論としては、この筒井氏とは年齢や過ごした時代が違うから考え方は全く違う上に、
「老人たるものこれを意識しなさい」といった指南書的なものではなく、筒井老人が個人的に考える精神的なものだった。
それはそれで、肩透かしをくらった故に面白さは感じないまでも、参考にはなった。
最初に参考になったのは、本の中で紹介されていた人生を11に分るという考え方。
1歳、4歳、9歳、16歳、25歳、36歳、みたいな感じで詳細を省くと、人生を素数で11段階に区切ってその乗数の年齢が転機になる、みたいな。
今年は満年齢がその転機を迎える年齢で、実際に外的にも内的の両方において大きな変化を迎えている自分としては、思うところがあった。
次にちょっと笑ったのは「ボケというのはモダニズム文学に似ている」という話は、老人らしいジョークで好きだった。
なんでもモダニズム文学というのは時間や位置間隔があやふやになっているらしく、その様がボケ老人と同じじゃないかということらしい。
逆に、受け入れられなかった考え方は、
老人がボケたふりして、ラッキースケベをしたり万引きをしたりすることが、許容されない不寛容な社会になっているという話。
確かに、実際問題として、今は非常に不寛容と言うか価値観が溢れる多様性の時代であり、それが社会全体に浸透しきっていないがために不安定で、
それぞれがどこかしらに居心地の悪さを感じる不安定な時代だと思う。
まあ、この話はいいや、本筋からズレるし、色々いいたいことがある人もいるだろう面倒臭い話だし。
それはそれとして、老人のそうしたお茶目が許容されない不寛容な社会と言う話。
これについては、多分自分に植え付けられた倫理観的なものが許容しない感じがした。
恐らく、自分が“真面目”と言うことになるんだと思う。
もしかしたら、歳を重ねて筒井氏の言う老人に自分が該当した時になって初めてわかる話や欲求なのかもしれない。
この話について自分の中に生まれた筒井氏に対する、反感というか拒絶感について考えて色々考えていたら、いかに自分が狭量なのかと驚いた。
これまで自分は、あまり異なる考えについてニュートラルな立ち位置を取っている方だと考えていた。
でも、この拒絶を感じている時点ですでにニュートラルじゃないじゃねって。
この気づきは個人的に大切にしたいものなので、改めて自分のスタンスを考え直してみたい。
と言うことで、終わります。
他にも書いてあるし、思うところはあったけど、インパクトが強かったところ書き終わったのと、飽きたので終わります。
以上。